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太田 三郎(おおた さむろう、1884年(明治17年)12月24日 - 1969年(昭和44年)5月1日)は、洋画家、挿絵画家。 ==経歴== 愛知県出身。黒田清輝に洋画を、寺崎広業に日本画を師事。日本画の号は沙夢楼。1913年の文展で「カッフェの女」が受賞。1920-22年に外遊、フォービズム、キュビズムの影響を受ける〔『日本美術年鑑』昭和45年版、P70-71。〕 君島柳三の名で挿絵画家としても活躍、川端康成の「浅草紅団」や矢田挿雲の「太閤記」などの挿絵を描いた。俳句は室積徂春の『ゆく雲』に参加。1955年愛知県文化会館美術科長。光風会会員。帝展審査員。〔日本人名大事典 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「太田三郎 (画家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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